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東京地方裁判所 平成2年(ワ)2960号 判決

原告

田制加平

右訴訟代理人弁護士

川口巖

三村伸之

被告

企業組合中高年雇用福祉事業団

右代表者代表理事

関谷省吾

被告

永戸祐三

被告

関谷省吾

被告

岩城雄作

右四名訴訟代理人弁護士

五十嵐利之久

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは原告に対し、各自五三七六万六六七三円及びこれに対する昭和六三年八月一九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

原告は、被告企業組合中高年雇用福祉事業団(以下「被告企業組合」という。)の組合員で営業部員として営業活動をしていたところ、被告企業組合が営業部門を廃止し、事業部門制に移行させたことに伴い被告企業組合から事業部門で就業するよう説得を受けていたにもかかわらず、依然として従来どおりの営業活動をしていた。そこで、被告の理事で原告の上司の被告永戸、同関谷、同岩城は原告に対し、営業活動をしないで現場で就労するよう説得行為をなした。

原告は、右被告三名は原告が高血圧症であることを認識しながら原告を極度の緊張状態に追い込み傷病を発症させる意図の下になし、この結果、原告は脳出血(左視床出血脳室穿破)に罹患したとして、右被告三名に対しては、民法七一九条一項、七〇九条に基づき、被告企業組合に対しては、中小企業等協同組合法四二条、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項に基づき、逸失利益、慰謝料等の損害賠償を求めた。

一  争いのない事実

1  当事者関係

(一) 被告企業組合

被告企業組合は、昭和四八年二月二三日、中小企業等協同組合法に基づき、清掃事業及び建物総合管理事業等を目的として設立された(但し、設立当時の商号は「やまて企業組合」であったが、昭和五七年六月に「東京中高年雇用福祉事業団やまて企業組合」に、昭和六〇年八月に「中高年雇用福祉事業団東京企業組合」に各商号変更をなし、そして、昭和六三年一〇月に現在の商号となった。)。

なお、被告企業組合は、昭和六二年一二月、中高年雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会直轄事業団と組織統合され、そして、中高年雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会センター事業団(以下「センター事業団」という。)が設立されたが、センター事業団には法人格がなく、右組織統合後も被告企業組合は依然として法人格を有していた。

また、センター事業団を包摂する組織として、中高年雇用福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会(以下「全国連合会」という。)があり、全国連合会は、平成五年五月、「日本労働者協同組合連合会」と名称変更した。

(二) 被告永戸祐三、同関谷省吾、同岩城雄作

昭和六三年八月一九日当時、被告永戸はセンター事業団及び被告企業組合理事兼全国連合会事務局長、同関谷省吾はセンター事業団理事長及び被告企業組合代表理事兼全国連合会副理事長、同岩城雄作は被告企業組合理事兼建設一般全日自労労働組合東京事業団分会委員長の役職にあった(以下、被告永戸、同関谷、同岩城の三名を「被告三名」といい、これに被告企業組合を加えた被告全員を「被告ら」とそれぞれいう。)。

(三) 原告

原告は、従前から建設一般全日自労労働組合(以下「全日自労」という。)の組合員で、昭和五五年、被告企業組合の営業部員として就業するようになり、昭和五六年に出資をして被告企業組合の組合員となった。

なお、原告は、全日自労東京都本部やまて分会委員長(但し、昭和五五年頃から昭和五九年頃まで)、被告企業組合理事(但し、昭和五九年二月から同年一二月一〇日まで)を歴任している(被告関谷本人尋問の結果)。

2  被告企業組合の営業部廃止と原告に対する事業部門就労説得の経緯

被告企業組合は、昭和六一年九月、原告が従来担当していた営業部を廃止したが、原告は、その後も、東京都内の区役所等を訪問し、仕事を受注するために名刺を配布するといった営業活動をしていた。しかし、被告企業組合は、原告の右名刺配布を正式な業務とは認めず、原告も他の組合員と同様に現場で就労すべきであり、その所属事業所を決定する必要があるとし、原告に対し、業務命令と題する昭和六三年八月一五日付この頃到達の内容証明郵便で、同月一九日午後四時に東京都新宿区(番地等略)の被告企業組合事務所(以下「本件事務所」という。)に出頭すべき旨を指示した。これに対し、原告は、同月一八日付けの内容証明郵便で、労働委員会に提訴中の事項につき、双方の弁護士を加えた協議を行うことの方が先決である等と反論したものの、右指示に従い、指定の時刻に本件事務所に赴いた。

3  原告の脳出血(左視床出血脳室穿破、以下「本件疾患」という。)発症

原告は、同日午後四時頃、本件事務所応接室において、被告三名と約一〇ないし一五分間に亘り話し合いをしたが、この際、論争状態(以下「本件論争」という。)となり、この後、体調を崩して、同日午後六時五〇分頃、財団法人東京勤労者医療会代々木病院(以下「代々木病院」という。)に運び込まれ、脳出血(左視床出血脳室穿破)と診断された。

二  争点

被告三名の原告に対する本件論争の違法行為性の有無、これが肯定された場合のこの行為と本件疾患(損害)との間の相当因果関係の有無、被告三名の責任原因の有無及び損害の発生の有無と損害の範囲である。

1  原告の主張

(一) 本件疾患の発症

被告三名は原告に対し、原告が高血圧症であることを認識していながら原告を極度の緊張状態に追い込み、疾病を発症させる意図の下に次のような行動に出て、原告に本件疾患を発症させた。

原告は、昭和六三年八月一九日午後四時ころ、本件事務所に赴いたところ、被告三名は、右事務所の奥の部屋で原告を待ち受けていた。原告は、被告永戸は被告企業組合と無関係であると考えていたので、同被告がそこにいることを疑問に思うと同時に驚いた。原告は、被告永戸を暴力的な人物であると思っていたこと等の理由から、関わりたくなかったので、なるべく無視し、専ら被告関谷と話し合うこととした。

最初に、被告関谷が、前記内容証明郵便の件を取り上げ、原告が業務命令に従うかどうかを尋ねてきたので、原告は、それよりも弁護士を加えての話し合いを先行させるべきである等と主張し、原告と被告関谷とが遣り取りしていた。

すると、被告関谷の隣に座っていた被告永戸は、突然、掌でテーブルを思い切り数回叩き、「貴様ら!やる気もないくせに勝手なことばかりしやがって!好き放題言いやがる。だいたい貴様らは・・・」と大声で怒鳴り出し、その顔は、興奮のためか蒼くなっていた。原告は、被告永戸が怒鳴った瞬間、ビクッとして反射的に腰を浮かせかけ、同被告が何をするかと恐怖感に見舞われたが、無理やり心を静め、同被告に対し、「あなたはやはり軍団長ですね。これは私が最初に言ったことではないですよ。」と言い返したところ、同被告は、原告が「軍団長」と言ったことを捉えて、被告岩城に対し、過去の出来事を指して、「あの時言われた。」と告げた際、一瞬静かになったので、原告は今がこの場所から逃れるチャンスだと考え、被告関谷に向かって、「これでは話になりませんね。でも、働く意思はありますからね。」と言った。

すると、被告永戸が立ち上がり、怒りでますます蒼くなった顔を突きつけるようにして、「何を言っているか!今までの賃金も取り返してやるぞ!」と怒鳴り、その時、原告は、「プーン」あるいは「プッツン」というような音を左側頭部に感じた。原告は、それは血管が切れる音であったと感じている。

原告は、被告永戸から顔を背け、被告関谷に対し、原告を解雇するのかと聞き、事務机のある方に向いながら、被告関谷に対し、夏期休暇をとっても良いかを尋ねた後、これから病院に行くので早退させてもらう旨告げた。被告永戸は、原告を追いかけるようにして、「この間病欠した時の診断書を出したか。」と怒鳴ってきたので、原告は、「一日休んで診断書を出せというのは聞いたことがない。三日以上休むときに出すのが常識ですが、ご存じないようですね。」と言い返し、タイムカードを押してから、本件事務所にいた同僚の訴外阿部光子に自己の顔色の様子を尋ね、「ちょいとおかしいんだ。肩から右腕にかけて急に感覚がなくなった。痺れたような感じなんだ。すぐ直ると思うけど。鞄を肩からかけても全然重いと感じないんだ。」と言って、本件事務所を出た。本件事務所に在室した時間は約一五分であった。

(二) 本件論争後の状況

原告は、病院に行く予定であったのを変更し、同日午後四時半頃、阿部から被告永戸らの様子を聞いた後、全日自労調布分会役員の訴外福井明との待ち合わせ場所である東京都渋谷区笹塚所在の喫茶店に行くため、電車に乗車し、前屈みになって座席に腰掛けたが、頭重感がし、身体の痺れが次第に増悪するように感じ、又、疲労もしていた。電車を降り、近くのスーパーで内容証明書のコピーをとり、右喫茶店に到着したときには、痺れで手の感覚がなくなり、コピーした紙を綴じるため端を揃えようとしてもすることができなかった。原告は、その後喫茶店に来た右福井に、紙を綴じてもらい、本件論争の状況を説明した。痺れは、更に強くなってじっとしていられなくなり、福井の判断により、代々木病院で診察を受けるため、立ち上がろうとしたが、足がよろけ、右手の感覚は全くなくなっていた。原告は、福井に抱き抱えられて喫茶店を出てタクシーに乗車したが、次第に呂律が回らなくなり、意識が遠のいていった。原告は、同日午後七時前頃代々木病院に到着し、その頃の記憶は若干あるものの、まもなく意識を失い、三、四日後に意識が回復したが、右側の手足が全く動かなかった。

(三) 原告の本件疾患発症(損害)と本件論争との因果関係

原告は、本件論争当日まで平常どおり生活していたところ、本件論争により本件疾患が発症したのであるから、本件論争と本件疾患(損害)との間には相当因果関係の存することは明らかである。

すなわち、原告は、本件疾患で倒れる直前、被告永戸らの前記のような常軌を逸した粗暴な行為により極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的又は予測困難な異常な事態に遭遇し、過重負荷を受け、この直後から手の痺れなど脳出血の症状が出現し、重症となって病院に担ぎ込まれるまでの時間は三時間も要していない。

なお、原告の血圧は、昭和六二年一二月一一日の集団健診において、収縮期圧一三二mmHg、拡張期圧九八mmHgであって、収縮期圧は高血圧判定の基準である一六〇mmHgにはるかに達せず、拡張期圧も高血圧判定の基準である九五mmHgを三mmHg超過しているに過ぎない。原告は、右集団健診の結果高血圧の疑いがあるとして血圧の再検査を指示されたが、これ以外に高血圧の診断を受けたことも、右のような再検査の指示を受けたこともない。

(四) 被告らの責任

被告三名は原告に対し、前述したとおり、共同して違法行為をしたのであるから、右行為により原告が被った後記損害につき連帯して賠償する責任を負う。

また、被告三名は、本件論争当時いずれも被告企業組合の理事であったから、被告企業組合は、原告に対し、被告三名の前記行為により原告が被った損害につき、連帯して賠償する責任を負う(中小企業等協同組合法四二条、商法二六一条三項、同法七八条二項、民法四四条一項)。

(五) 損害

(1) 積極損害(合計三三万一八八〇円)

〈1〉 治療費等 一〇万六五二〇円

ア 代々木病院への支払分 九万九九〇〇円

イ 町田市民病院への支払分 六六二〇円

〈2〉 入院雑費 一一万一六〇〇円

但し、一日一二〇〇円として九三日間入院

〈3〉 通院交通費 一万三一六〇円

〈4〉 器具購入費等 一〇万〇六〇〇円

(内訳)

ア 補装具二足 九万八八〇〇円

イ おむつ代 一八〇〇円

(2) 消極損害(合計二六五八万四〇七三円)

〈1〉 休業損害 一四二万八二一四円(円未満切捨て)

但し、基礎収入額(年収) 三一九万八一五〇円

原告に昭和六三年当時支払われた賃金は、月額二一万八三〇〇円(基本給一九万四五〇〇円、調整手当一万八八〇〇円、家族手当五〇〇〇円)であり、一時金は、冬期三七万九〇五〇円(基本給一九万四五〇〇円及び家族手当五〇〇〇円の合計額の一・九倍)、夏期一九万九五〇〇円(基本給一九万四五〇〇円及び家族手当五〇〇〇円の合計額と同額)であった。

休業期間 一六三日間

昭和六三年八月二〇日から平成元年一月二九日(身体障害者手帳発行日である平成元年一月三〇日を症状固定日とする。)まで

〈2〉 逸失利益 二五一五万五八五九円

但し、基礎収入額(年収) 三一九万八一五〇円

労働能力喪失率 一〇〇パーセント

期間 二八七一日

症状固定日である平成元年一月三〇日から平成八年一二月九日(原告の満六七歳の誕生日)まで

(3) 慰謝料(合計二二八五万円)

〈1〉 入通院慰謝料 二三五万円

但し、入院三か月

(昭和六三年八月一九日から同年一一月一九日まで)

通院二二か月

(昭和六三年一一月二〇日から現在まで、週二回)

〈2〉 後遺症慰謝料 二〇五〇万円

但し、原告の後遺障害の程度は、自賠法施行令別表後遺障害等級一覧表の第二級に該当し、後遺症慰謝料として、上記金額が相当である。

(4) 弁護士費用四〇〇万円

2  被告らの答弁

被告三名が原告の身体や精神に危害を加えようと意図したことは全くないし、現実にそのような行動をしたこともない。

本件論争当時、本件事務所内において、原告と被告関谷及び同永戸とがそれぞれ応接セットに座り、テーブルを挟んで向い合い、被告岩城は、原告と同被告らの中間に横から加わる形で事務用椅子に腰掛けた状態で話し合いをした。原告と被告三名とが遣り取りをした時間はわずか一〇分程度であり、言い争ったのは更に短時間のことである。話し合いの過程で、被告永戸が原告の態度に応じて多少強い言い方をしたり、机を軽く一回叩いたりしたことはあったが、原告が主張するような常軌を逸した粗暴な行為に及んだ事実はない。また、被告三名の行為と本件疾患(損害)との間に因果関係はなく、原告の脳出血は、高血圧等原告の身体的条件に起因するのである。更に、話し合い当時、被告三名としては、後に原告の体調が悪化することを到底予見できなかった。

第三争点に対する判断

当裁判所は、原告の主張はいずれの観点からみても理由がないと判断する。

以下、被告三名の原告に対する原告主張の違法行為の有無、仮に右違法行為が存したとした場合のこの行為と原告の本件疾患(損害)との相当因果関係の有無について順次検討することとする。

一  被告三名の原告に対する違法行為の有無

当事者間に争いのない事実、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件論争は、概ね次のような状況であったことが認められる。

原告は、昭和六三年八月一九日午後四時五分頃、前記被告企業組合の業務命令に従い本件事務所に赴いた。本件事務所は、面積が約一四坪で、パーテイションによって、事務室と応接室とが分けられており、事務室には、前記阿部光子(被告企業組合組合員)ら三名が就労していた。原告は、事務室の自己の机の上に鞄を置いて応接室に行った。応接室には既に被告三名が原告を待ち受けており、応接セットの一方のソファーに被告関谷と同永戸が並んで座り、原告は、テーブルを挟んで同被告らと向き合う形でソファーに一人で座り、被告岩城は、原告と同被告らとの間に着席した。パーテイションの扉は開かれており、事務室と行き来ができる状態であった。

被告関谷が最初に口火を切り、原告に対し、原告が現在行っている名刺を配りながらの役所回りの仕事は正式な業務とは認められないので、翌二〇日までに具体的な就業場所を決めること、それまでに決めない場合は就労の意思がないものとみなしてそれ以降の給与は支払わない旨を話した。これに対し原告は、給与を支払わないということは解雇かと質問したので、被告関谷は、解雇ではないが、就業する意思がないから給与を支払わないということだと答えた。これに対し、原告は、働く意思はあるし、名刺を配りながらの役所回りは被告関谷の指示でやっている旨言い返し、同被告は、名刺配りは同被告の指示によるものではなく、原告が勝手にやっていることだが、正式に就業場所が決まるまで穏便に事を処理するために黙っていたに過ぎない旨反論した。このとき、被告永戸が同関谷に加勢する発言をし、右手の指でテーブルの表面を続けて二回程度強く叩いた。これを見た被告は、「あっ、テーブルを叩きましたね。」と言いつつ、努めて冷静な風を装い、近くに置いてあった鞄から手帳とペンを取り出し、そのことをメモする素振りを示し、そして、被告永戸に対し、「軍団の永戸とはあんたか。」等と言った。これに対し、被告永戸は、「貴様らは勝手なことばかり言って、いい年をしていいかげんにしたらどうか、理事報酬も取りやがって。」等と言うと、原告は、「あっ、貴様らと言いましたね。」と言い、このことを手帳にメモする素振りを示した。そして、原告は、「今後は労働組合を通じてしか話をしない。今回の業務命令は拒否する。」等と言って一方的に話し合いを打ち切り、応接室から事務室に行ったが、このときの原告の健康状態に格別変化のあったようには見受けられなかった。

原告は、事務室から被告関谷らに向かって、同月二〇日から夏休みを取りたいが、原告にも夏休みがあるのかどうかを問いかけ、被告関谷は夏休みはある旨答え、原告は、更に、今日は代々木病院に薬を取りに行くので早退させてもらう旨告げた。

被告永戸は、原告の態度が居直っており太々しいと感じて癪にさわり、原告に対し、「この前の病欠について診断書は出したのか。」と質問すると、原告は、「診断書というものは三日以上休むときに出すものだ、そんなことは社会一般の常識なのにあなたは知らないのか。」と言い返し、タイムカードに打刻した。

原告は、事務室にいた前記阿部に顔色の状態を尋ね、「おかしいな、急に肩から腕にかけて何の感覚もなくなってしまった、鞄を持っても重いとも感じない。」等と言い、首を回しながら事務室を出て行った。

なお、本件論争の際、被告関谷は、低い小さな声で話していたものの、声を少し大きくしたことがあり、被告永戸は、もともと声が大きかったうえに、怒鳴って声を荒げたり、乱暴な言葉遣いをしたりしており、被告岩城は、双方の遣り取りをメモしているだけで一言も発言しなかった。また、被告永戸が、原告との遣り取りの最中に立ち上がったか否かについては確証がなく、いずれとも断定できないが、原告及び被告三名が互いの身体に触れるようなことはなかった。更に、原告は本件論争の最中、二度にわたり手帳にメモを取っている素振りを示したものの、実際にはメモを取っていないし、格別興奮している様子にはなかった。本件論争があったのは、同日午後四時五分頃から二〇分頃までの約一五分間であり、被告永戸と原告との遣り取りがあったのは、長く見ても三分弱であった。(〈証拠・人証略〉)

右認定事実によると、本件論争のそもそもの発端は、被告企業組合が営業部を廃止し事業部門制に移行したことに伴い、被告企業組合の理事長である被告関谷が原告に対し、原告の従前から担当していた営業を正式な業務と認めないので事業部において就労すべき旨を説得したのに、原告が頑なにこれに応じようとしなかったことにあったというのであるから、被告関谷の右説得行為は正当な目的をもってなされたということができ、そして、この席に同席した被告永戸及び同岩城は、いずれも被告企業組合の理事の立場にあったのであるから、この同席自体に何ら非難されるべき点はないといえる。

原告は、被告三名は原告に対し、原告が高血圧であることを知りながら、原告を極度の緊張状態に追い込み、疾病を発症させる意図の下に右説得行為に及んだ旨主張するが、本件全証拠によるも右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

そこで、右説得行為の態様をみるに、被告関谷は原告に対し、右のとおり就業場所を決めて就業するように説得しており、この言葉遣いも社会的相当性の範囲内であったといえるし、被告岩城は、双方の遣り取りをメモしていただけであるというのであるから、これ自体何ら違法と評価されることはない。被告永戸は、同関谷に加勢する発言をし、右手の指でテーブルを二回ほど強く叩き、声を荒らげたり、乱暴な言葉遣いをしたりしたというのであるから、些か説得行為の範囲を逸脱したかのようであるが、これも原告の挑発的言辞に誘発された面のあったことは否定できず、被告関谷の説得にも全く耳を貸そうとしなかった原告の余りにも頑なな態度にその原因があったともいえるのであるから、被告永戸の右行為自体を捉えて社会的相当性の範囲を逸脱したものと評価することはできない。

以上のとおりであるから、被告三名の原告に対する本件論争中の説得行為等には違法な点はない。したがって、この点に関する原告の主張は理由がない。

二  本件疾患(損害)と本件論争中の被告三名の説得行為等との相当因果関係の有無

1  自覚症状について

後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、本件事務所を退出後、病院に行く予定を変更し、阿部から本件論争後の被告三名の様子を聞いた後、同日午後六時に全日自労調布分会役員訴外福井明と待ち合わせていた東京都渋谷区笹塚所在の喫茶店に向った。途中、原告は電車の中で前屈みになって椅子に座っていたが、頭重感がするうえに、体の痺れも次第に増悪するように感じた。原告は、電車を降りてから、近くのスーパーでコピーをとり、待ち合わせ場所の喫茶店に行って、ホチキスで綴じるためにコピー用紙を揃えようとしたところ、手が痺れて感覚がなくなり、揃えることができなかった。原告は、福井が来てから、代わってホチキスで綴じてもらい、同人に本件論争の状況を説明した。この頃、原告は、舌がもつれて会話が困難となり、又、痺れは顔面にまで広がっていた上、痺れ方も増悪し、じっとしていられなくなった。原告は、普段かかりつけていた代々木病院で診察を受けようと思い、立ち上がろうとしたところ、足もとがふらつき一人で歩行できず、福井に抱き抱えられて外に出た。この時には、右手が全く動かなくなっていた。原告は、途中、タクシーの中で運転手と少し話をしたが、口がうまく動かなくなり、意識が遠のいていった。(〈証拠・人証略〉)

2  医師の診断内容と本件疾患発症の機序について

当事者間に争いのない事実、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

代々木病院では、同日午後六時五〇分頃、当日の救急外来担当医であった沼田信明が原告の診察をした。この際に原告が訴えた症状は、右半身が痺れ、呂律が回りにくく、左前頭部から頭頂部にかけて痛みがあること等であった。所見としては、脈拍八八、血圧が収縮期圧一九六mmHg・拡張期圧一〇〇mmHg、対光反射正常、口蓋垂の右側変位、脳神経五、七番の顔面神経と三叉神経の右側弱化、右側不全麻痺、バレーサインの右側下肢の陽性(右の足が自分で支えられないような状態)、DTR(深部の知覚検査のために行う腱反射)正常範囲内、バビンスキー(病状反射)の右側陽性、構語障害(呂律が回らない状態)等が認められた。CT写真の結果、左視床に出血しており、それが脳室穿破(切れた血管から流出した血液が脳室にまで入り込んだ状態)していたことが判明し、脳出血と診断された。(〈証拠・人証略〉)

そして、右沼田医師の見解によれば本件疾患を医学的発生機序から考察すると、通枝領域の比較的細い血管が切れ、徐々に出血して視床に滞留し、視床は感覚を司る部位であることから、痺れ感、感覚障害・感覚異常の症状が発現し、その後、出血が徐々に内包後脚の方まで拡散し、内包は運動神経の線維が通っていることから、徐々に運動神経まで侵されてきたという時間的経過を辿ったものと推定できる、というのである。

3  脳出血に関し認められる医学上の一般的所見について

血圧は、ストレスにより上昇するものの、これのみで正常な毛細血管が破断するということは、通常はない。しかし、血縁者に血圧の高い者や脳出血を起こした者がいるような場合については、体質的に脳出血の発症しやすい素因を有していることがあり、ストレスや大きな負荷がかかった場合に、急激に血圧が上昇し、脳出血を発症させることがある。又、脳の血管が破断してから、症状が発現するまでの時間的間隔は、事例によって異なる。(〈証拠・人証略〉)

4  原告の従来の血圧の状況及び体質的素因等について

成人の血圧の正常値は、収縮期圧一四〇mmHg及び拡張期圧九〇mmHg未満とするのが一般であり、WHO基準によれば、高血圧は収縮期圧一六〇mmHg以上、拡張期圧九五mmHg以上とされ、その中間は境界域高血圧とされている。

原告の過去六年間における血圧測定結果は、収縮期圧及び拡張期圧がそれぞれ、昭和五六年一一月は一四〇mmHg・九〇mmHg、昭和五七年一一月は一四八mmHg・八〇mmHg、昭和五九年四月は一三〇mmHg・八六mmHg、昭和六〇年五月は一四二mmHg・八八mmHg、昭和六一年七月は一五八mmHg・八八mmHg、昭和六二年一二月は一三二mmHg・九八mmHgであり、右の六回の測定中、本件疾患発症の前年度においては、拡張期圧が高血圧の値を示しており、それ以外は、五九年度の値が正常値であった他、いずれも、拡張期圧・収縮期圧のいずれか或は両方が境界域高血圧に属しているので、高めであった。(〈証拠・人証略〉)

また、原告は、両親がいずれも脳卒中を患っており、兄が五一歳で脳卒中により死亡し、姉二人も高血圧の健康状態にある。(〈証拠・人証略〉)

5  当裁判所の判断

以上の認定事実によると、原告は、本件論争、とりわけ被告永戸との遣り取りにおいてかなりの程度の興奮状態にあったと認められ、本件論争直後の原告の自覚症状及び他覚的所見によれば、肩から腕にかけての感覚麻痺症状を呈し、頭重感、身体の痺れの増悪感におそわれ、医師の診察の結果脳室穿破の左視床出血が認められたというのであるから、本件疾患は本件論争中、あるいはこれに近接した時点において発症したと認めることには不自然さはなく、他に本件疾患の発症の外部的要因となった事情も認められないから、本件疾患はそうすると、本件論争、とりわけ被告永戸との遣り取りが遠因となって発症したものと推認できなくもない。

しかしながら、本件論争の状況は前記に認定したとおりであって、この程度の論争は社会生活において一般的に行われている程度のことであって、本件論争自体は勿論のこと、被告永戸の原告に対する対応にも社会的相当性を逸脱したところのなかったことは前述したとおりであり、そして、原告が本件論争ないし被告永戸との遣り取りによってかなりの程度ストレスが亢進したとしても、ストレスによる血圧の上昇のみによって正常な毛細血管が破断することは通常はないというのである。

そうすると、本件疾患は、原告が体質的、家系的に脳出血を発症し易い素因を有していたところに、加齢的要素と境界域高血圧という健康状態が競合的に作用し合って、偶々の本件論争を遠因として発症したものと考えるのが合理的であり、したがって、本件論争ないし被告永戸の原告に対する対応が本件疾患発症の条件となったといっても、このことは通常起こり得ない極めて希有な事例に属するということができ、そして、このような希有な事例に属する事柄にあって相当因果関係が存するといえるためには、被告三名において、少なくとも本件疾患(損害)発症を予見することができたことを要すると解すべきところ、本件全証拠によるもこのような事情の存したことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、原告の主張はこの点においても理由がない。

(裁判長裁判官 林豊 裁判官 合田智子 裁判官 蓮井俊治)

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